5 伊能高忠が失ったもの、そして得たもの
伊能高忠が奇妙な老人に教えられた、奇妙なオフ会に参加することにしたのは、その内容が奇妙にも伊能の奇妙な悩みと一致していたからだ。
普通ならオフ会と称するものに参加しようとは絶対に思わなかっただろう。
ネットは良く利用しているが、そこで誰かと知り合い、仲良くなることなど考えられなかった。
ネット上の、正体不明の人間同士が交わすやりとりが嫌いだからだ。
それらは過剰に親しげだったり、攻撃的だったり、慇懃だったり、無礼だったりと感じられた。
35歳の伊能にとって、会話の相手が10歳なのか70歳なのか、男なのか女なのか分からないのは居心地が悪かった。
天才セールスマンを自称する伊能は、相手の表情や口調、仕草などを観察しながらコミュニケーションをとるのが得意だった。
ネットのように、顔も年齢も素性も分からない相手では人間関係を築くのは不可能だと思っている。
それならば歌舞伎町でよく見かけるやくざ達の方がよっぽど友達になれそうだと思っていた。
少なくとも彼らは顔を見せてくれるし、正体もはっきりしている。
この3か月で、伊能は全てを失っていた。
3ヶ月前に突然妻の真澄が、5歳になる一人娘の由美を連れ、家を出た。
伊能が東北地方への1週間の出張を終え、由美の欲しがっていた人形を鞄に忍ばせて帰宅すると、ほとんどの家財道具とともに二人はいなくなっていた。
以前から計画していたらしい手際の良さに、断固たる真澄の意志を感じた。
裕福な真澄の実家が買いそろえた物と真澄自身が買ったものだけが運び出されていたが、それはほとんど全てだった。
伊能の所有物といえるのは使い古した本棚と机ぐらいだった。
3人で暮らしている時には、少し手狭に思えた2DKのマンションが、虚しくなるほど広く感じられた。
伊能が学生時代から使っている古い机の上に、離婚届が広げられて置いてあった。
真澄の記入する部分は、全て真澄の几帳面な筆跡で埋めてある。
他に真澄の書き残したものはないかと探した。
それはメモ用紙に書かれ、電話機にテープで貼ってあった。
最初に言っておきますが、話し合いには応じません。何度もあなたの笑顔と口先に騙され、丸めこまれてきました。
あなたは口先だけの人間です。
あなたの笑顔に真実などありません。
もう、嫌です。絶対に嫌です!
実家に帰りますから、由美のことは心配しないでください。離婚に応じてくれたら、由美とあなたの面会について考えます。
用件がある場合、弁護士に連絡してください。
あなたが私に直接の接触を試みたら、私は由美と死にます。
メモには弁護士の名前と連絡先が書かれていた。
伊能は電話機をうつろな目で眺めながら、しばらく茫然と立ちすくんでいた。
真澄は軽々しく死ぬなどと口にする女ではなかった。
しかし自分の何が悪くて、真澄にここまでの決意をさせたのかが伊能には分らなかった。
組織に縛られるのが厭で、何度も転職した。
最近はどこにも属さず、売れそうなものは何でも売るセールスマンをしている。詐欺まがいの商品も扱うが、収入は勤めていた頃より安定した。
しかし、すれていない田舎を回ることから家を空けることが多くもなった。
もっともそれ以前にも、浮気騒動も一度や二度ではなかった。
そのつど激昂する真澄をあの手この手でなだめてきた。
生真面目な真澄から見れば、伊能は口先だけのちゃらんぽらんな男だ。伊能から見れば、真澄は騙しやすい女だった。
しかし、伊能は思いもよらぬダメージを受けていた。
真澄と由美の存在が、自分の中でこれほど大きいとは知らなかったのだ。
伊能はかけがえのない家族を失った。
そしてそれ以降二度と笑えなくなったのだ。
端整で陽気な笑顔は、いつも伊能の最大の武器だった。
仕事をする意欲も失い、わずかな蓄えも底をついた。
しかし同じ頃に得たものがあった。
知人に話せば、精神科に連れて行かれるだろう。
ネットでなら話せることもあるのだと知った。
超能力が発現したのである。
~つづく~
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コメント
上村先生♪こんばんは! 先生の小説は登場する全てのキャラに味があって光ってますよね〜。早く次が読みたいです(^_^)/~
投稿 Honey | 2007年10月19日 (金) 22時41分
伊能高忠はキャラがたっていますよね。
伊能高忠には、モデルがいるのでしょうか?
伊能高忠は、魅力的な人間だと思います。
投稿 ドスコイ | 2007年10月20日 (土) 05時22分
いやぁ 面白いです(爆)
ネットを題材としたものって近未来ですよね。こういう作風はなかなか読めないので続きが楽しみです。
投稿 風の旅人 | 2007年10月20日 (土) 23時31分