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11 サラマンダーの幽霊

 伊能の凍りついた表情を見て、全員がその男を見た。

 円形に並べられた椅子の一つに、男は座っていた。

 誰も座っていなかったはずの席に、忽然と現れ、ひっそりと座っていた。

 長い髪を額にたらした青白い肌の男は、気弱げな目で寂しげに微笑んでいた。

 しかし表情とは裏腹に、眉間には深いしわが刻まれている。

 急速に温度が下がったような気がした。

 汗まみれだった万全の頭頂部からいつの間にか汗が引いていた。

 老人の口から、入れ歯が半分飛び出していた。
 予知能力者は目を見開き、椅子から滑り落ちそうだ。

 伊能を除く全員が、サラマンダーに現れる幽霊の噂話を知っていた。

 コツコツコツコツコツコツ……
 奇妙な音がかすかに聞こえ始めた。

「ひょええええええええ!ラップ現象だああ」
 予知能力者が床に這って、腰をかくかくさせながら逃げようと必死の形相になった。

 老人の飛び出した入れ歯が、細かく震えて噛み合う音だった。

「あごほおおおおおおお」
 万全も奇声を発しながら、腰が抜けたように椅子から滑り落ちた。

「おば、おば、おばけけけけけ!サラマンダーの幽霊だ!」

 老人も呆気に取られた表情で男を見つめている。

 伊能は幽霊など信じる気にもならない。

 しかし目前に現れた男には変なところがあった。

 しっかりと見つめていないと、たちどころに印象が曖昧になってしまうような、輪郭がぼやけていくような感じである。

 伊能が思い切って声をかけた。

「あんた、いつからそこにいた?」

 男は救われたような目で伊能を見つめ、小さな声で喋りだした。

「あの、最初からいました」

「い、いないぞ。俺はあんたなんか見てない!」
 予知能力者が叫ぶように言った。

 男は淡々と後を続けた。

「そうです。見ていなかったのです。僕はここにいたけど、貴方たちは見ていなかった……」

「そんな馬鹿な……」
 伊能が反論しようとすると、老人に制された。

 老人の目の中をチラチラと光が走ったように見えた。

 入れ歯を口の中に戻してから、老人が流暢な英語を口にした。
「inattentional blindnessじゃ」

 呆気に取られている皆にかまわず、老人は一気に喋った。

「非注意性盲目とでも訳すんじゃろうか。注意が向いていないと、目の前にあるものも見えない。そんなことは誰でも経験があるじゃろ。ほい、万全さん席にお座りなされ。あんたもあるじゃろ。たとえばすいている電車に乗って、席に腰掛けるとする。ふと向かい側の座席を見ると、なんと絶世の美女がいるではないか。もう、あんたは目が離せなくなる。このとき、あんたの目は実に大量の情報を得ておる。視界に入る物すべてじゃからな。向かい側に座っている全ての人、網棚に置かれた雑誌、床に落ちている紙くず、窓の外を流れていく風景……実に大量の情報をえている」

 万全は椅子に座りなおして、真剣なまなざしで老人の話を聞いていた。

 その姿は全幅の信頼を置く師匠に対する弟子のように見えた。

 老人はお茶を一口すすって後を続けた。

「しかしその大量の情報を、必要なものと不必要なものに分けるフィルターのような機能が脳には存在するといわれておる。一説にはその機能が低下すると、精神に異常をきたすともいわれておるな。普通なら、気にも留めないはずの、人々の話し声、些細な事柄にも意味があるように感じてしまい、妄想にいたるわけじゃ。2004年のイグ・ノーベル賞を受賞した論文は、このことについて面白い実験をしておる。バスケットボールの試合中に、ゴリラの着ぐるみをかぶった女性が選手たちの間を通り過ぎる。まあ、あり得ない者が登場するわけじゃ。このことを試合後選手たちに確認すると、なんと50%近くの選手が見てないと言ったわけじゃ」

 老人はそこまで語ると、幽霊のようにひっそりと話を聞いていた男に向かってやさしく微笑んだ。

「それが、貴方の異能力なんですな。人のフィルター機能に影響を与えて、自分への注意をそらす。素晴らしい能力じゃ!お名前をお伺いしても良いかな?」

 男の青白い顔が僅かに紅潮した。

 泣き出しそうに顔を歪めながらも、何度も気を取り直そうとするように眉間を寄せていた。

「ボクは二宮透(にのみや・とおる)といいます。あの……感動しました。自分の事ですけど、今はっきりと自分の能力が分かりました」

 伊能が身を乗り出して聞いた。
「二宮さん、あんたも能力を使うと……まあ、さっきの万全さんの毛が抜けるみたいな副作用みたいのがあるのかい?」

 二宮の顔がいっそう苦しそうに歪んだ。

「この能力を初めて使ったのは、小学校の2年のときでした。その日は朝からおなかの調子が悪かったんですが、大好きな女の子の隣の席になれたばかりだったので、無理して学校に行ったんです」

 二宮の眉間のしわがより深くなった。

「最初の授業が始まる頃には、おなかはひどく痛み始めてました。それでも先生に言ってトイレに行く勇気はありませんでした。だって大好きな女の子が隣にいるんですよ」

 やたらと何度も、万全が「わかる!わかるぞ!」といった表情でうなずいていた。

「ボクは全身全霊を尻の穴に集中して堪えていました。でもついにカタストロフィー、いわゆる破局、つまりはお漏らしのときを迎えました。脱糞して脱力したボクは、押さえようの無い異臭がボクを中心に広がりつつある中、ボクなんか消えてしまえ!消えてしまえ!と必死で祈り続けました」

 堪えきれずに席を立った万全が、うなだれる二宮の肩を励ますように叩いた。

 万全の目にはうっすらと涙が滲んでいる。
 どうやら万全も同じようなエピソードを持っているらしい。

「奇跡が起こりました。皆が臭いと騒ぎ出しましたが、誰一人ボクを見ようとはしません。もちろんボクの好きな子も、ボクを見ませんでした。というよりボクはいないみたいでした」

 共感に満ちていた万全の顔が少しかげった。
 万全の過去はもっと悲惨だったのかもしれない。

「それ以降、少しずつ能力の使い方が分かってきました」

「どんなことに使うんだい?」

 質問した伊能を見て、二宮は微笑んだ。

「バスにタダで乗れます。平常心を保てれば能力は発揮できました。一度万引きをしてみましたが、やっぱり怖かったのか、店を出るときに捕まりました」

「サラマンダーの幽霊って二宮さん?」
 万全が恐る恐る尋ねた。

「はい、ボクだと思います。女の幽霊のほうは分かりませんが、男のほうはボクです。さっきの質問、なにか副作用はないかという質問に対するお答えですが、実は能力を使っているうちに、元に戻らなくなってきました。今では眉間に力を込めていないと、皆さんに存在を認めてもらえません。幽霊騒ぎも、何かにはっとした瞬間にボクの姿が認知されたことによるものだと思います。あとこれは内緒ですが……」

 二宮が小声になったので、皆が身を寄せた。
「ボク、この店に3ヶ月ほど暮らしていますが、一度もお金を払ったことはありません」

 ほおっと感心したような声が皆から漏れた。

 老人も実に感服したといった表情で頷き、今度は伊能を真っ直ぐに見つめてきた。

「では、次は貴方のことを話してくだされ」

 伊能は、これならば何事も包み隠さず話せると確信した。

 そしてつい最近発現した、自分の信じられないような能力について語り始めた。

 カウンターでは河豚少女が唇ピアスに怒られて、間違えて入れた冷房のスイッチを切っていた。
 
 
 ~つづく

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コメント

イグ・ノーベル賞について、調べました。
ノーベル賞のパロディなんですね。
二宮の超能力は凄いです。
もし、二宮のような超能力があれば、
現実に使えますね。
もっと、凄い超能力者が出てくるのかな?

投稿: ドスコイ | 2007年11月15日 (木) 05時20分

超能力というと、何かものすごくメリットのあるものを想像しますが、
二宮の能力はどこかもどかしく哀愁を誘いますね。

投稿: JAM | 2007年11月19日 (月) 10時15分

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