51 変身
YUKIは意識を失って床に倒れた。
「土岐さん、その女をソファに座らせてください。俺はまだ動けそうにないです。あと5分位で大丈夫だと思うんですが」
伊能の言葉に土岐は肯いた。
くわえ煙草のまま、倒れているYUKIを抱え上げてソファに座らせた。
YUKIは完全に意識を失っている。
顎を胸に付けるように力なくうなだれている。
長い黒髪が顔を覆い隠していた。
「なんか、この女ちょっと怖い……」
万全がYUKIを気味悪そうに見ながら呟いた。
そして伊能の隣に座って、再び腕を絡めてきた。
伊能がその手を邪険に振り払う。
「お前の方が怖いよ。もう手は繋がなくていいんだ。須賀さん、俺が動けるようになったら、すぐにこの女を連れて行きましょう。部下の方たち何人かに車で来てもらえますか?」
須賀は肯いて携帯電話を取り出した。
短いやり取りを終える。
「10分ほどで迎えにくるそうじゃ」
須賀の言葉に、皆ほっとしたような表情になった。
「しかし、結構美人ですよね。おっぱいは小さいけど……」
万全が少し虚脱したような様子で呟いた。
「とにかく二宮じゃなくて良かったよ。この女から聞き出すことはたくさんあるな。テロ計画の全貌。二宮の監禁場所。こいつの異能力の正体……」
伊能の言葉が止まった。
微かな笑い声が聞こえたような気がした。
伊能がYUKIを凝視している。
YUKIは相変わらずぐったりとうなだれている。
「お前……今笑ったか? 気が付いているのか?」
伊能が少し蒼ざめながら、厳しい口調で言った。
「ま、まさか。笑い声なんかしませんよねえ」
動揺を隠す様に、万全が妙に明るい声を出す。
しかし須賀も土岐も緊張した表情でYUKIを見ている。
YUKIは糸の切れた操り人形のような格好のまま、微動だにしない。
顔の全面を覆っている黒髪のせいか、その場所だけやけに黒々と闇が深くなっているような感じがした。
「万全、ちょっと女の様子を確認しろ。髪の毛が邪魔で表情が見えない。俺に顔が見えるようにしてくれ」
万全は露骨に嫌な顔をしたが、伊能のただならぬ様子に渋々と立ち上がってYUKIの所に行った。
万全は、恐る恐るYUKIに手を伸ばそうとした。
――ククク……。
笑い声が聞こえてきた。
万全の動きが凍りついた。
ひどく耳障りな笑い方だ。
人間以外の、何か得体のしれない動物の声に聞こえた。
声は……、
女の方から聞こえる。
「万全! 離れろ!」
伊能が叫ぶ。
万全はぎこちない動きで一歩離れようとした。
しかし蛇のように素早く伸びてきた手に、しっかりと手首をつかまれた。
慌てて振り払おうとしたが、万全の手首の骨が悲鳴を上げるほどの怪力で、逆に引き寄せられてしまった。
YUKIという女は華奢と言ってもいいくらい痩せていた。
万全の手首を掴んでいる手は、プロレスラーのように筋骨たくましい腕だった。
手の甲には、獣のような長く黒い剛毛がびっしりと生えている。
しかし明らかにそれはYUKIの腕だった。
顔も上げずに、腕だけが別の生き物のように万全を襲ったのだ。
土岐がマイオトロンを持って立ち上がった。
伊能も動こうとしたが、まだ無理だった。
――ククク……。
女がゆっくりと顔を上げた。
その顔を目にしたとき、伊能は叫びをあげて逃げたかった。
皆そう思ったろう。
万全などは捕まっているから、女の顔を見たとき危うく失禁しそうになった。
さっきまで日本的な顔立ちの女だった。
顔を上げて皆を見ているのは、服はそのままだが全く違う人間だった。
醜いといえる、恐ろしい顔の男だった。
「お前は誰だ?」
伊能が訊いた。
――須賀さんの部下が来るまで、あと5分くらい。早く来てくれ。こいつは物凄くヤバい。
「うわあああああ」
万全が情けない悲鳴をあげた。
元は女だった顔が、まだ変化し続けていた。
色白の細面だったのが、顔のいたるところにぼこぼこと瘤のようなものが現れ顔の形を変えていく。
細かった眉毛はどんどん太くなっていく。
細い顎はしっかりとした顎になった。
歯の大きさまでが変わっていく。
映画でみる狼男の変身シーンのようだった。
恐怖に凍りついた伊能達は、何をすればいいのか考えられなかった。嫌な音を立てて、骨や筋肉までが変化していく様子から目が離せなかった。
長く感じたが、変身が終わるまで3分くらいだった。
そこにいるのは大きな化け物じみた男だった。
「い、伊能さん。つ、角が……」
変身を終えて、にやにやしながら伊能達を見つめる男の額の両側には、角のような瘤が盛り上がっていた。
先ほどのYUKIとは比べようもないほど禍々しい雰囲気を発散させている。
「お前らはYUKIに一杯食ったわけだ。YUKIが意識を失えば、俺が出てこれるからな」
「あんたは何者だ?」
伊能の問いに男は歯をむき出し笑った。
「泣ぐ子はいねがあ。悪い子いねがあ」
いつの間にか男の手には床屋がヒゲ剃りに使うような長い剃刀が握られていた。
「俺の名はストレートレイザー。本物のナマハゲだ」
「ナマハゲって秋田の?」
「ああ、あれは観光用のナマハゲだ。本当は生身剥ぎ(ナマハギ)という山に棲む一族だ。何百年も昔から、俺達は子供を食って生きている。もっとも俺はYUKIの身に居候しているだけだ.言っておくが俺は何の能力も無いぞ。俺はただ殺すだけだ。お前たちの生身をそっくり剥いでやろう」
――こいつは無理だ。逃げるしかない。こんな化け物とは……
体が動くようになった。
伊能は叫んだ。
「皆逃げるぞ! 万全、手を振り払え。合気道だ!」
――もうすぐ須賀さんの部下が来る。なんとか逃げなければ……。
騒ぎに気がついた店員が、渋い顔で近寄ってきた。
唇ピアスの男だ。
ナマハギの前でうんざりしたように言った。
「寝てるお客さんもいるんで、少し静かに……」
店員が絶句した。
鼻の下にぽっかりと赤い穴が口を開けた。目にもとまらぬ早業で、上下の唇を剃刀で削がれたのだ。
あっと口を押さえて蹲った。
真っ赤な血がぼたぼたと床に滴り落ちる。
そのすきに万全はなんとか手を振り払い、脱兎の如く出口に向かって逃げ出している。
土岐は須賀に手を貸して、一緒に出口を目指した。
伊能も何とか動けるようになって後を追う。
「泣ぐ子はいねがあああ!」
ナマハギが長い剃刀を手に追ってくる。
振り返ってその姿を見た伊能は、これは人間ではないと確信した。
表情も走り方も声も、全てが人間離れしている。
特にスピードが凄い。
これではあっという間に追いつかれてしまう。
先頭を走る万全に向かって、伊能は叫んだ。
「万全! マキビシだ! マキビシでこの化け物を足止めしろ!」
万全は地上に上がる階段にさしかかっていた。
伊能の声に慌ててポケットの中を探る。
ひとつかみのマキビシをまき散らす。
須賀や土岐、伊能の前に撒かれた。
「いてててててて! 万全のバカ野郎め! どこにまいてやがる」
土岐が喚く。
万全は後ろも見ずに逃げていく。
まだ動きの鈍い伊能は、背後にナマハギの息遣いを感じた。
いつ身体に鋭い刃物の感触を感じることになるのだろうか。
ふと、さっきナマハギの言った言葉を思い出した。
「YUKIが意識を失えば、俺が出てこれる」
――こいつの意識を奪えばYUKIに戻るのか?
伊能は立ち止った。
手にはマイオトロンを握りしめている。
狂ったような顔のナマハギが目前に来ていた。
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コメント
ぼくもナマハゲだと思っていました。
子供の頃、秋田でナマハゲに会った時は、
心底驚きました
当然、被り物でしたが。
本当は生身剥ぎ(ナマハギ)と言うのは
初めて知りました。
投稿 ドスコイ | 2008年4月19日 (土) 08時23分