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56 万全激怒する。

「死ななきゃ殺される」と訳の分からないことを言いながら、万全はうろうろと部屋中を歩き回った。

 本当に死にたいのならベランダに出て飛び下りれば確実なのに、なぜかそうはしなかった。

 常備薬の正露丸を見つけて、一瓶全部飲んだ。
 途端に全部吐いた。
 猛烈な悪臭を放つゲロを伊能が掃除したが、いまだに正露丸の匂いが消えない。

「ウンコを食べれば死ぬはずだ。誰か僕にウンコを下さい」と涙眼で懇願してきたときは、土岐がこれ以上ないほど冷酷な顔で「自分の糞を食え」と言った。

 万全のせいで、伊能と土岐は結局一睡もできなかった。

 朝のワイドショーが始まる頃になって、ようやく万全も疲れたのか、ソファーでぐったりとなった。
 伊能と土岐も、その様子を見てソファーに座ったままうつらうつらと眠り始めた。

 しかし万全の獣のような唸り声で飛び起きた。
 万全が物凄い表情でテレビ画面を睨みつけている。
 昨夜のサラマンダーの事件を報じていた。

 テレビで喋っているのは毒舌で有名なオカマだった。

 オカマが司会者に「もう一度さっきの写真をみせてくださる? 爺さんじゃなくて、あの奇妙な男の写真。出来ればアップで写してください」と言った。

 画面一杯に万全の顔が映し出された。

 警察で写真を撮られる際に、笑おうとしたのか、顔が変に歪んでいた。

 バベルの塔のような髪形は、ピサの斜塔みたいに傾いている。
 小さな目を精一杯見開いているのに、焦点が合っていない。
 味付けのりを貼り付けたような太い眉は、なぜか片方だけ吊り上っている。
 なにか人をイラつかせるものが、その表情にはあった。

――あらためてテレビで見ると、万全の顔はきついな。戦隊ヒーロー物に出てくる怪人みたいだ。

 伊能はそう思ったが、口には出さなかった。
「死ぬ死ぬ発作」がおきると困るからだ。

 しかし、テレビのオカマが呆れたような口調で話し始めた。
 顔は嫌悪感MAXだ。
「見てよ、この男。この、顔! 悪いけど、どうしたって普通の人ではないわよね。こんな一目で異常者だと分かるような人間が、どうして大手を振って歩いているのかしら? その辺の対策とかしてもらわないと怖くて外も歩けないわ」

 伊能と土岐はさりげなく万全に目をやった。
 万全は肩を震わせてうつむいている。

 オカマが最後に言った。
「なんなの、この髪型。禿げを隠すにしたって、目立つようにして、どうすんのよ」

 万全がそれを聞いて、いきなり躍り上がるように立ち上がった。
「なにおう! この腐れオカマ野郎! 目に物見せてやるわいな!」
 口調までおかしくなっている。

 うぞぞぞぞと万全の髪の毛が蠢きだした。

 伊能は慌てて万全を止めた。
「何をする気だ! あいつはブラジャーしてないぞ、たぶん……」

 万全の髪の毛がへなへなと力なく動きを止めた。

 いきなり万全が伊能の胸に飛び込んできた。
「く、口惜しいよお! あんなオカマにまで馬鹿にされて……」

 そのまま大声で泣きじゃくり始めた。
 伊能は、物凄く嫌だったが、必死で我慢した。
 また「死ぬ死ぬ」騒ぎになったら困るからだ。

 しばらくすると万全の泣き声がやんだ。
 ようやく落ち着いたらしい。

 伊能はなるべく優しい声で「大丈夫か、万全?」と声をかけた。

 すすりあげながら万全は、伊能の胸に押しつけていた顔をあげた。
 小さな目は涙に濡れていた。

 そしてやはり小さな鼻のあたりは、黄褐色のどろどろの鼻水と涙でぐちょぐちょだった。
 伊能の胸と、万全の鼻の間には鼻水の吊り橋が架かっていた。
 思わず突き飛ばしそうになったが、伊能は全力で我慢した。

 そのとき万全が頬をちょっと赤らめて伊能をじっと見た。
「伊能さんの胸って……あったかい」

 気がつくと、万全が床に転がって鼻血を流していた。
 伊能は自分の拳を見た。
 鼻水らしき粘液が付いていた。

 伊能は猛ダッシュで浴室に駆け込んだ。
 着ていたものを全て脱ぎ、シャワーを浴びた。
 拳は念入りに何十回も洗った。

――絶対謝らない。
 そればかり考えていた。

 浴室から出る時、伊能ははっとあることに気がついた。
――真澄もニュースを見ただろうか? いや見ていなくても、必ず知ることになる。おそらく警察も行くに違いない。なるべく早く事情を話さなければ……。

 万全なんかを相手にしている時ではない。
 真澄にどう説明するか、考えなくてはならない。

 難しい顔で居間に向かうと、万全のはしゃいだ声と、聞きなれない声が聞こえてきた。
 訝しく思いながら居間のドアを開けた。

 丸めたティッシュを、これ見よがしに鼻に詰め込んだ万全が、本当に嬉しそうに誰かと話していた。
 相手の男は伊能に背中を向けていて、誰だか分らなかった。

 首に包帯を巻いている。
 男が振り向いた。
 タケトだった。

「伊能さん! お久しぶりです! 昨日のニュースを見て、もう大変だって思って。病院脱走してきちゃいました」

「どうやって、ここへ?」

「この前二宮さんに須賀さんの家を教えてもらいました。それで今朝訪ねて行ったら、ここに連れてきてくれたんです」

「いや……でも体大丈夫か? 病院に戻ったほうがいいぞ。俺たちはお尋ね者だからな。もう打つ手もないし……」

 タケトは明るい目で伊能を見て、少しはにかんだような微笑みを浮かべた。
「ピンチなんでしょ? だから僕も来たんです。僕も異能戦隊サラマンダーですからね」

 首に巻いた包帯が痛々しかった。
 だがタケトの登場で何かが変わった。

 万全が笑っている。
 土岐も少し元気になった。
 伊能は真澄に本当のことを話そうと決めた。

 おそらく信じてはくれないだろう。
 本当のことが一番嘘くさいこともある。

「何でこんな事をしたの?」
 真澄は聞くだろう。

 俺は本当のことを言う。
「セイギのためだ」

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コメント

>バベルの塔のような髪形は、ピサの斜塔みたいに傾いている。
万全の頭を想像して、爆笑してしまいました。

>俺は本当のことを言う。
「セイギのためだ」
伊能の台詞はかっこいいですね。

投稿: ドスコイ | 2008年5月 6日 (火) 13時53分

『セイギのためだ』
かなりシビレました〜!! 
次の更新待ち遠しいです。

投稿: Honey | 2008年5月 8日 (木) 00時22分

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