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63 セイギって何?

 はうあ!と言って万全がいきなり立ち上がった。

 目がイッちゃてるので、とりあえず無視しようと伊能は思った。
 考えることは皆同じのようで、タケトも急に寝たふりをしているし、土岐はトイレに行ってしまった。

 伊能は顔を伏せて、自分の手相を真剣に見つめるふりをしたが、万全の視線の圧力に耐えかねて顔を上げた。

 万全の目がすがるように絡みついてくる。
 物凄く器量の悪い野良犬みたいな目だ。

 ため息をつきながら、伊能は仕方なく訊ねた。
「どうした?」

「ここ何日か、会社に欠勤の連絡するの忘れました。どうしよう! きっと皆心配してます。僕がいないと分らないことも色々あるのに……」

「心配ならお前のケータイに連絡してくるだろう? それよか、ニュースでお前を見て、パニくってるんじゃないか?」

 物凄く器量の悪い野良犬が、悪い病気にかかって死にかかっているような目になった。

「そ、そうです! あわわ、大変だ大変だ大変だ。電話しなきゃ、部長が怒る! 課長がキレる! 課長代理が怒鳴る! 係長が呆れる! 主任が……主任は笑うか?」

 一瞬考え込んで「そんな事より電話、電話!」と言いながら、あたふたとケータイを取り出した。

 突然普段より200%明るい声で喋りはじめた。

「あ! 万全です。あ、係長ですね? いや、あれこれとありまして、連絡が遅れて申し訳ありません! ちょっと立て込んだ事情がありまして……は? いや、あら、そんな一言でですか? はい、はあ、時間がないですか……警察? はあ、あの、そりゃまたご迷惑を……いや、あの、僕は無実です! 純潔です! 潔白です! 信じてください……はい? 部長? 部長に代わるんですか? は、はい! あ! 部長! なんか変な誤解とか、もういやんなっちゃいます。何をしておるんだと言われましても、僕のほうが聞きたいくらいな感じでして。はあ、あ! それは分ってます! 実はですね、全てはセイギのためなんです! え? あ? ちょっと、お、お待ちなせえ……」
 電話を切られたらしく、万全は呆然とケータイを見詰めている。

「どうした? なんて言われたんだ?」
 さすがに可哀想になって、伊能は少しは情をこめて声をかけた。

 万全の目が伊能に向けられた。
 物凄く器量の悪い野良犬が、悪い病気で死ぬ寸前に気が狂ったような目だった。

「僕がセイギのためですって言ったら……部長があきれ果てたような声で、言いました。セイギ? ああそうか。お前はクビだ、二度と会社には来るな。電話も許さん。この、度し難きバカ者め……ってどういう意味ですかね? なぜ怒るんだろう? あ、もしかすると、部長って悪なんですかね?」

 万全はしきりに首をひねりながら「会社に来るな。電話も許さん。これからどうやって仕事をすればいいんですかねえ」と途方に暮れたように呟いている。

 伊能は立ち上がって、万全を励ますように肩を叩いた。
「もういいんだ。会社には行かなくていいんだ。何かいい仕事を紹介してやるよ。お前は正しいことをした。俺たちもだ。誰にも理解されない、何の利益もない、ただ誰かを助けるために命を懸ける。だからこそセイギなんだ。ねえ、そうだろ?」

 いつの間にか土岐とタケトも万全の周りに集まっていた。
 少し照れたような顔で、万全は笑った。
「そうか、僕、クビになったんだあ……なんか人生ゲームみたいだな……全然予定してなかったから驚いちゃった。あはは」
 万全の小さな目に涙が光っていた。

 少し器量が悪いが、愛嬌のある子犬のような目だった。

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コメント

会社に警察が来れば、必ず首になりますよ。
正義の味方も、苦労が多いですね。

投稿: ドスコイ | 2008年5月30日 (金) 19時05分

万全…(笑)
いつも万全が何かする度に伊能さんと同じ気持ちになります(笑)
キモカワいそう(笑)

投稿: リコノコ | 2008年6月 1日 (日) 12時37分

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