« 64 末期(まつご)の願い | トップページ | 66 折れないココロ »

65 末期(まつご)の願い(2)

 母屋に足を踏み入れた時、三上の顔は仮面のように強張っていた。

 家屋敷すべての売買契約は完了している。
 その代金のほとんどがテロに費やされた。

 唯一の使用人だった老婆は、三上からたっぷりの慰労金を貰い、昨日、孫のもとへ去って行った。

 三上はゆっくりと無人の母屋の中を歩いた。
 全てに別れを告げる儀式なのかもしれない。

 長い廊下の突き当たりに、祖父の使っていた書斎があった。
 祖父が死んで以来、三上はこの部屋にだけは入ろうとしなかった。
 使用人にも、この部屋への出入りを固く禁じてきた。

 ドアの前で三上は一瞬立ちすくんだ。
 しかし意を決したように、ドアを開いた。

 むっと埃臭いにおいが押し寄せてくる。

 広い書斎の中ほどに、祖父のお気に入りだった大きな樫の机が据えられている。かろうじて空間らしきものがあるのは、机の上だけで、壁際の大きな書棚から溢れた書籍類が、床のほとんどを埋め尽くしていた。

 机の上には書きかけのレポートと、参考資料らしきものが高く積み上げられていた。

 祖父の愛用の万年筆を見て、三上はポケットにしまった。

 そのとき、レポートの下から封書が覗いているのが見えた。
 取り出してみると、きちんと封がしてあり、宛名は「聖へ」となっている。

 三上はその封書も背広のポケットにしまった。

 庭に下りると、邸内の私設研究所に向かった。
 中に入り自分のデスクに座った。

 こんなとき、煙草の一本でも吸えればよかったのにと、苦笑いを浮かべた。

 無菌室の冷蔵庫から、銀色の缶を取り出した。
 そして完全密閉された空間の中で、赤い起爆装置を押した。
 これで30分後には、自分の体でGB(GOD BLESS)の威力を確認できる。

 すでに研究室は外側から完全にロックされている。
 あまり苦しむのは嫌なので、5時間後には大量の火薬とガソリンによって、跡形もなく燃え尽きるようにセットしてある。

――これで終わりだ……
 椅子に座っていたら、少しうとうとしてしまった。

 目が覚めたのは、缶がシューと音をたてて薄い霧のようなものを発射し始めた音でだった。

 匂いはない。吸い込んだ感じでも特に違和感は感じなかった。
三上は腕時計を外して、時間の経過による症状の変化を書きとめようとした。

 さっきポケットに入れた祖父の万年筆を使うことにした。
 そのとき同じようにポケットに入れた祖父の手紙に気がついた。

 三上は丁寧に手紙の封を切った。
 便箋には懐かしい祖父の力強い字が書かれていた。

 時折文字が乱れているのは、余程焦っていたのかもしれない。
 おそらく自分を裏切った官僚どもへの血を吐くような怒りが綴られているのだろうと思いながら、三上は祖父の手紙を読み始めた。

 
『聖へ
 今回のことでは、お前たちにまで大変な迷惑をかけてしまった。全ては私の科学的な先見性の無さに起因している。少しの権威を鼻にかけて、新しい事態を見ようとしなくなっていたのかもしれん。今、目の前にいる患者を救うことばかりに目が行ってしまった結果がこれだ。聖よ、官僚どもを恨んではならんぞ。あれらは、ああいう生き物なのだ。なんとか責任を回避し、失点を最小限に抑える。友人でも仲間でも、引っ張れる足は引っ張る。そしてひたすら組織のヒエラルキーの上を目指す亡者のようなものなのだ。我々は科学者だから、責任の回避はできない。人の命という最も大切なものを扱っているのだから尚更だ。聖、私がいま一番悲しいのは、お前にだけはこんなにみじめな姿をさらしたくなかったことだ。私の失脚により、お前もつらい学究生活になるかもしれんが、どうか三上家の誇りを抱き続けてくれ。聖、覚えているか?お前が5,6歳のころカブトムシを庭で飼っていたよな。紐で繋いであったのだが、ある日寿命だったのか、死んでぶら下がっておった。お前の悲しみ様といったら大変だった。聖、お前は寂しい育ちだったが、優しい心を持っている子だ。いつか大きな研究を成し遂げて、私の汚名をすすいでほしい。お前と過ごした時間は、私にとって何にも代えがたい時間だった。私の孫に生まれてくれて、本当にありがとう。心から、ありがとう』

 読み終わっても三上は、ぼんやりと手紙を見詰めていた。

 突然、胸の奥から押し出されるような咳が出始めた。
 時計を確認する。
「30分で肺炭疽の初期症状か。相当早いな……」

 露出している皮膚を調べる。
 手、首筋にうす赤い斑点のようなものが出ている。
 体温は37,2度。微熱だ。

 三上は、祖父の手紙にひどく動揺を感じていた。
 だがもう後戻りはできない。
 たとえ計画を中止しようと思っても、YUKIへの連絡方法もない。第一この部屋は完全密閉すると、携帯電話は使えない。

 椅子に掛けた上着のポケットがチカチカ光っていた。
 外にいる時に受信したメールだ。
 別居中の妻貴子からだ。

 貴子には明日、帝都大学に来るようにいってある。
 離婚届に判を押してやると言ったら、二つ返事だった。
 三上にとって一人息子の尊(たける)を奪った憎い女でしかなかった。帝都大学は高濃度の炭疽菌が撒かれる予定だ。

 メールを開いた。
 思わず立ち上がった。
 その瞬間ひどくせき込んだ。
 口を拭ったティッシュに赤い血痕が残った。

{明日予定通り10時に伺います。学生会館のカフェですわね。書類はこちらで用意いたしますので、あなたは印鑑を忘れないように。それから、あなたに会うことを、うっかり尊に言ってしまったの。そうしたら、幼稚園休んで一緒に行くってきかないの。なにがなんでもパパに会いたいって泣くから、今回だけ特別に連れて行きます。なんか買って手なずけないで下さいね。それでは}

 尊が来る!

 三上は慌ててメールの返信を打ったが、電波状態が悪くて送信できない。パソコンから、と思って貴子のアドレスを携帯電話で見ようとしたら、電池切れで画面が真っ暗になってしまった。

「くそ!」
 怒りにまかせて机を叩こうと腕を上げたら、肩甲骨から肩にかけて激しい筋肉痛に襲われた。
 さらに猛烈な腹痛が起きたと思ったら、突然噴水のように嘔吐した。

「外部と連絡が取れるのは、パソコンだけか……」
 しかし、すでに両手の指までが強張りはじめていた。

 再び嘔吐。
 今度は真っ赤な血液だった。
「早い、いくらなんでも早すぎる」
 三上は生まれて初めてパニックに陥っていた。

――三上家の誇りを……
――私の汚名をすすいでくれ……
――人の命という最も大切なもの……

 三上は狂ったような眼で時計を見た。
 あとどれだけの時間が残されているのだろう?

 強張りはじめた指をこじ開けながら、三上は猛烈な勢いでパソコンに向かい始めた。

――このメッセージを拾ってくれ!気が付いてくれ!頼む、俺のバカげたテロを阻止してくれ!異能戦隊サラマンダー!

|

« 64 末期(まつご)の願い | トップページ | 66 折れないココロ »

コメント

ああ~
三上…
手紙を見つけたその場で読めば良かったのに!(;_;)

皮肉な展開ですねー

投稿: リコノコ | 2008年6月 7日 (土) 12時27分

人間って……!

がんばれ、サラマンダー!

何となく読み始めましたが、今はとても面白くのめり込んでいます。(笑)

投稿: ポーチュラカ | 2008年6月 7日 (土) 14時50分

恐怖のテロ計画が始動しました。
どうやって、サラマンダーは
テロと戦っていくのでしょうか?
警察に追われながら?

投稿: ドスコイ | 2008年6月 9日 (月) 08時40分

警察はやはり蹴散らしてもらいたいですね。
警察は敵ですね。
守護天使の映画楽しみにしてます。
ヒロインは誰でしょうかわいいでしょうね。
うがががが

投稿: 中野流星会 | 2008年6月11日 (水) 08時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 64 末期(まつご)の願い | トップページ | 66 折れないココロ »