三上は大学の研究室で、熱心に外国の文献を読んでいた。
ノックもせずに入ってきた女が、三上の姿を見てうんざりしたような顔になった。
「三上先生は網走大学に転勤する日までここにいるつもりなんですか?少しはここを片付ける私の身にもなってください」
三上は文献から顔も上げなかった。
何年も三上の助手をしているこの女の顔が、嫌悪と侮蔑に醜く歪んでいることは見なくてもわかるからだ。
返事もしない三上に聞こえるように、溜息をついて女は出て行った。部屋が揺れるほどドアを乱暴に閉めて出て行ったので、三上の机の上に山と積まれた書籍類が崩れそうになった。
――確か6年前か……。
三上は女が三上の助手になった頃のことを思い出した。
三上が「よろしく」と差し出した手を握ろうとしないので、女の顔を見るとなんと真っ赤に紅潮して涙まで流している。
「どうしたの?」と驚いて尋ねた三上に確かこんな風に答えたのだ。
「申し訳ありません。尊敬する三上先生の助手になれるなんて、夢みたいで感激です。私、先生の足手まといにならないよう一生懸命に頑張ります。どんなことでもお申し付けください」
足の裏に目鼻を描いたような顔だなと思った。
それでも気持ちだけは三上にも伝わってきた。
帝都大学医学部のエース、将来の学長候補とまでいわれていた頃だった。
「どうやら今では俺の方が足手まといらしい」
三上はひっそりと陰気に呟いた。
今では助手とは名ばかりで、お茶の一杯も入れてはくれない。
なんとか三上を追い出したい大学側が、必死になって見つけてきた転勤先は、北海道の名前を聞いたこともない大学だった。
しかも教授として迎えられるのではない。
現在と同じ准教授の待遇だった。
そのことを伝えた教授は話の間、一度も三上を見なかった。
学長だった祖父の腰巾着と呼ばれ、家に来ると子供のころの三上にまで露骨におべっかを使っていた。
頼まれもしないのに休日には三上の家にきて、庭掃除や木の手入れなど植木屋の真似事までしていた。
そのおかげで教授になれたのだと大学では囁かれている。
三上はぼそぼそと喋る教授の、貧相な禿げ方をした頭のあたりをずっと冷ややかな目で見つめていた。
言いわけのような、恩を着せるような、憐れんでいるような話が終ったとき、三上が発したのはただ一言だった。
「分りました」
教授の部屋を出るときに、部屋の正面にかけられていた祖父の写真がいつの間にか外されていることに気がついた。
おそらく捨てたのだ、ゴミのように。
三上の祖父聖一郎は5年前に死んだ。
それは普通の死ではなかった。
そのとき祖父は裁判所の法廷で、被告人として立たされていた。
当時新薬の副作用で被害が広がり、大きな社会問題になっていた。
厚生省と、新薬認可審議会の責任者だった祖父は、世間から激しく糾弾された。
どんなゴシップめいたメディアの取材にも祖父は誠実に対応した。
それは医学者としての誇りをかけた戦いだった。
新薬の危険性について厚生省の一部が認知していたのではないかという憶測が流れてから、疑いは祖父にも及んだ。
祖父は喜寿を祝おうという日に、妻や孫(三上)と生まれたばかりのひ孫の眼の前で逮捕された。
これみよがしに祖父の痩せて筋張った両手に手錠がかけられる音が、今でも三上の耳に残っている。
連行される祖父は、背筋を伸ばしまっすぐ前を見ながら、堂々と歩いていた。
パトカーに乗り込む前に、祖父は一瞬振り返って、茫然と見ている三上に微笑みかけた。
――分かっているだろう。お前は何も心配することはないのだよ。
そう言っているのだとすぐに分かった。
幼いときに両親を失った三上が、庭に隠れて一人で泣いていると、なぜか必ず祖父が見つけてくれて、三上を抱きしめてそう言ってくれた。
その時と同じ表情をしていた。
三上は懸命に笑顔を作って見送った。
最後の日、三上は傍聴席で祖父の背中を見つめていた。
背筋を伸ばした見慣れた背中が、慣れない拘置所生活でひとまわり小さくなったように見えた。
検察側の証人として出てきたのは、祖父の仲間だったはずの厚生省の高級官僚だった。
その証言に祖父の背中が震えるのが見えた。
祖父一人に責任を押し付けるために考えられたストーリーが、男のよく徹る声で語られたのだ。
証人は祖父とは20年来の付き合いで将棋の好敵手だった男。
「年は違うが親友だな」と祖父が言っていた男。
年に何回か二人で将棋旅行と称して温泉巡りをしていた男の口から、恥知らずな嘘が誠実に語られた。
驚いたことに、男は自分を睨み据えている祖父を平然と見返した。
まったく無表情だった。
祖父の顔が憤怒で真っ赤になった。
こらえきれずに祖父は立ちあがって、裁判長に向かって「裁判長!申し上げたいことが……」と叫んだ。
言葉は途切れ、祖父は胸のあたりを両手でかきむしりながら横倒しに倒れた。
制止しようとする警備官に「俺は医者だ!」と言いながら祖父の元に駆け寄ったときには、すでに手の施しようがないことを知った。
脳幹部の血管が、急激に上昇した血圧に耐えられずに破裂したのだ。呼吸など、祖父が生きる為に必要な基本的な機能が、全て一瞬で失われた。
幼いころから何百回と抱きしめて励ましてくれた祖父を、三上は初めて自分から抱きしめていた。
祖父の葬式には取材の記者以外誰も来なかった。
祖父の逮捕以降、妻の貴子は一人息子の尊(たける)を連れて実家に帰っていた。
出て行くときに貴子が言った「恥ずかしい」という言葉に三上が激怒してから、電話もしてこなくなった。
祖父の死はニュースで知っているだろうに、それでも連絡はなかった。
三上と祖母の二人だけで骨を拾っている時に、祖母が微笑みながら優しく骨に語りかけた。
「貴方、本当にお疲れ様でした。大変な人生でしたねえ。でも私は幸せでしたよ。ありがとう、貴方」
三上は祖父が死んで以来初めて目に涙があふれてきた。
それは何かの発作のような激しさで、立っていることもできなかった。
しゃがんだまま、子供のように声を上げて号泣する三上の背中を、祖母がさすってくれた。
裁判は祖父にすべての責任が押し付けられる形で終わった。
祖母は裁判の結果を知ることもなく、祖父の後を追うように死んでしまった。
貴子は離婚を要求している。子供も自分が育てると言ってきかない。「犯罪者の家になんか置いておけないわ」という貴子の言葉は、三上の怒る気力さえ奪った。
大学では誰も三上に話しかけなくなった。
受け持ちの講義もどんどん減らされていった。
決して人付き合いの得意ではない三上だったが、准教授になった頃には、驚くほど多くの人間が周りにいた。
今は誰もいない。
たった一人の息子まで奪われようとしている。
――誇りを失ったら人間ではない。
祖父から何回も聞かされた言葉だ。
三上の血肉になっている言葉だ。
日本という官僚国家に奪われた三上家の誇りを取り戻さなければならない。
これは三上という一個人と日本との戦争だと思っていた。
この数年間、閑職に追いやられたおかげでできた時間のすべて、財産のすべてを戦いの准備に費やしてきた。
全知全能を注いだテロ計画。
祖父が脳幹部の破壊によって死んだように、三上は日本の脳幹部を破壊するつもりだった。
最強の兵器も三上の天才的頭脳によって生み出された。
決行まで約2週間。
祖父の命日10月31日に、日本は死ぬ。
三上は肌身離さず持っている祖父の写真を、暗い眼でじっと見つめた。
~つづく~