目次

#1 巨大ネットカフェとそこに潜むモノたち(たとえば幽霊)
#2 巨大ネットカフェとそこに潜むモノたち(あるいは殺人者)
#3 伊能高忠と奇妙な老人(と謎のヤクザたち)
#4 長野希と奇妙な老人(と謎のヤクザたち)
#5 伊能高忠が失ったもの、そして得たもの
#6 HN(ハンドルネーム)ストレート・レイザー
#7 バベルの塔を戴く男
#8 異能力者組合第1回オフ会(宇宙規模?)
#9 恐るべき異能力者
#10 精霊の独白(September 11, 2001 )
#11 サラマンダーの幽霊
#12 三人の異能力者たち
#13 伊能の副作用(果てしなくだだ漏れするアレ)
#14 見張るモノたち
#15 バラバラ
#16 土岐の嗅ぐモノ
#17 熱い友情で結ばれつつある異能トリオ
#18 サラマンダーの幽霊(2)
#19 容疑者 万全大力 見るからに変質者と呼ばれた男
#20 はじまりの夜
#21 陰気なマッドサイエンティストと1000分の1ミリの爆弾
#22 拉致
#23 10歳の老人
#24 10歳の老人(2)
#25 それぞれのセイギ
#26 それぞれの想い
#27 誰かのために
#28 誰かのために(2)
#29 賢人会議
#30 賢人会議(2)
#31 孤独なテロリスト
#32 警察病院
#33 覚醒
#34 GOD BLESS (神の祝福)
#35 最重要会議
#36 誕生
#37 真の友人
#38 YUKIとストレートレイザー
#39 色はどうする
#40 襲撃――そして死
#41 潜行
#42 電光石火
#43 シャイターン
#44 ゲーム
#45 いくつかの疑惑
#46 ゲームの準備
#47 ゲームの準備(2)
#48 アシッドハウス
#49 アシッドハウス(2)
#50 反撃
#51 変身
#52 生身剥ぎ(ナマハゲ)
#53 バイタルサイン(生命徴候)
#54 五里霧中そして四面楚歌
#55 五里霧中そして四面楚歌(2)
#56 万全激怒する。
#57 真澄激怒する。
#58 魂の消滅
#59 伊能の脱ヤクザ講座
#60 伊能の脱ヤクザ講座(2)
#61 佇む人
#62 目覚めぬ眠り
#63 セイギって何?
#64 末期(まつご)の願い
#65 末期(まつご)の願い(2)
#66 折れないココロ
#67 百万羽のカラスと千人のオタク
#68 前夜
#69 兆し
#70 出撃
#71 異能戦隊サラマンダー
#72 ラストワン
#73 そして死が、宙に舞った
#74 永遠の90秒
#75 国家の誠意
#76 ハローグッドバイ

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76 ハローグッドバイ

 帝都大学病院の一室では、ベッドに座る希に母親が林檎を剥いて食べさせていた。

 母親には一つ気になっていることがあった。

 時折外の景色を見ている希の表情だ。
 何かを待っているような、そんな表情に見えた。

 長い昏睡のせいか、以前に比べてあまり笑わなくなったのも心配だった。

 林檎を頬張っていた希が、突然ベッドからぴょんと飛び下りて窓際に駈けて行った。

 そして何かを見てケラケラ笑っている。
 嬉しくて、楽しくて堪らないといった笑い方だ。

 母親も窓際に来て、希が何を見ているのか確かめた。

 窓の下にいたのは、柄の悪い老人、ヤクザ風の中年男、セールスマン風のちょっといい男、頼りなさげな今風の若い男、キューピー人形のような髪形の、見るからに変質者っぽい小男。

 その5人が何やらポーズを取っている。
 戦隊物のポーズの真似でもしているのだろうか。

 見るからに危なそうな連中なので、窓を閉めようかとも思ったが、あまりに希が嬉しそうなので我慢した。

 希はその怪しい連中に、小さく手を振って答えていた。
 でもとにかく、希のこんな笑顔が見られただけでも大満足だった。


 病院の帰り道、須賀が話し始めた。
「わしはヤクザを引退します。希君が残してくれたセイギのココロがあるのにヤクザはできません。老人福祉関係の仕事をやるつもりです」
 しっかりした口調だった。

 伊能はふと疑問に思った。確か須賀はボケ始めていたはず。

「何かを得ることは、何かを失うことです。わしは希君を失ったが、希君はわしに明晰な頭脳を残してくれた」

「そういえば俺も味覚が戻ったよ。留置場の弁当がやたらと美味かった」
 土岐の言葉に、万全が不満そうな顔になった。

 万全は激しい発毛、脱毛のサイクルが終了したとき、最初と全く違う髪形になっていた。

 頭頂部が河童のように禿げていたのが、今はその部分にだけ毛が生えている。頭の周りを縁取っていた毛髪はきれいに無くなっていた。モヒカンというよりキューピー人形のようだった。

「僕は何を得て、何を失ったんでしょうか?」

 万全の問いに、伊能は思わず噴き出した。
「お前は簡単だよ。頭のてっぺんの毛を得て、周りの毛を失ったんだ」

 万全は不満そうに鼻を鳴らした。

 土岐が伊能の顔をまじまじと見つめた。
「何ですか? 土岐さん、人の顔をジロジロ見て」

「お前笑ってるよ。ちゃんといい顔で笑ってるよ。お前が得たのはそれだな」

「ぼ、僕は?」
 心配そうなタケトの肩を伊能は叩いた。

「お前はあんな凄い友達ができたじゃないか。カラスの王様!」
 タケトは納得したのか嬉しそうにほほ笑んだ。

 伊能は大きく背伸びをした。

 病院の並木道の空気が美味しかったし、何よりも希が元気なのを見ることができたことが嬉しかった。
 しかも伊能たちのことを覚えているらしい。

「さーて、俺は久しぶりに我が家に帰ろうかな。といっても誰も待っていない寂しい家だけどな」

 万全が急に捨てられた子犬のような目になった。
 おそらく実家には帰りづらいのだろう。

「万全、良かったら俺の家に来るか? どうせ誰もいないし、掃除、洗濯をやってくれれば家賃はいらないぞ」

 万全の目が輝いた。
「本当ですか? ぜひお願いします! 僕、掃除、洗濯だけじゃなくてお料理だって得意です。嬉しいなあ、伊能さんの奥さんになれるなんて夢見たいだ……」

「冗談でもそういうことを口にしたら、即座に放り出すぞ」

「嫌だなあ。ジョーダンですよ、じょうだん」

 大学正門のところで、伊能と万全は同じタクシーに乗り込んだ。

 須賀、土岐、タケトの3人は須賀の部下の運転する車に乗り込む。

 別れの時、土岐は無表情で「じゃあな」と言っただけだった。
 伊能は「いつかまた」と言った。
 万全は「月に一回サラマンダーの定例会を開きましょう」と提案したが、皆に無視された。
 タケトは寂しそうに「また会えますよね」と呟いた。
 須賀は「今度会う時までに、わしはホームレス2級を取得しておきます」と言って、部下から「親っさん、ホームヘルパー2級です」と間違いを指摘されていた。


 タクシーが伊能のマンションに着いたとき、夕暮れ時にさしかかっていた。

 ふとマンションを見上げた伊能の顔が、訝しげになった。
 自分の部屋に電気が煌々と灯っているのだ。

 部屋の前にきてドアノブを回すと、カギはかかっておらず開いた。
 何か美味しそうな匂いが漂ってくる。

「パパだーおかえりなさーい!」
 跳ねるように由美が駆けてきて、伊能の腰に抱きついた。

 真澄がエプロン姿で出てくる。
 伊能は驚き、戸惑っていた。

「お帰りなさい」
 そう言う真澄の眼は悪戯っぽく伊能を見つめている。

「ま、真澄、どうして?」

「だから、貴方は私の考えていることだけは分らないって言ったでしょ」
 真澄は優しく伊能を見つめている。

 伊能は思わず真澄を抱きしめていた。

 ふと、玄関に万全がアホみたいに突っ立っていることに気がついた。

 伊能は万全に目配せして、顎をしゃくり「帰れ」と有無を言わせぬ調子で言った。

 おろおろとしながらも、伊能の強い調子に万全は部屋の外に追い出された。そのうえ、ご丁寧に鍵まで掛ける音がした。

 おそらくまだ玄関で抱き合っているのだろうと思うと、彼女いない歴25年の万全はふつふつと怒りが湧いてきた。

 万全は閉じられたドアに向かって立った。

 うぞぞぞぞぞぞぞとキューピー頭の毛が蠢きだす。
 くおおおおおおおおと食いしばった歯の間から空気が漏れる。

 前に突き出した両腕が、微妙な動きを見せる。

 ドアの内側では、しっかりと真澄を抱きしめる伊能がいた。
 突然、真澄がはっと体を硬くする。

 ブラジャーが外れ、急に自由になった豊満な胸がぶるんと弾んだ。

 頬を赤らめて伊能を恥ずかしそうに睨む。
「まだ早いでしょ。エッチね」と囁いた。

 伊能たちの横では、由美が「まだ早いでしょ、エッチねえ」と言いながら、ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねていた。

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75 国家の誠意

 伊能たちの勾留は12日だった。

 取り調べでは全員が真実を語った。
 警察を馬鹿にしているのかと、激昂する刑事もいた。

「異能力」「ネットに存在する少年の意識体」「カラスの王様」「千代田区を対象とした生物テロ」「多重人格の殺人鬼」など刑事でなくても理解し難いだろう。

 しかし、一つ一つが客観的に裏付けられていく――。

 回収したGB缶は、確かに兵器級の威力があった。

 開発した三上准教授は、その世界では超一流の学者だった。

 事件の前日、自宅の火災で死んでいる。研究所のような造りの建物で、普通ではない激しい燃え方をしていた。遺体も完全に炭化して、一切研究書類らしきものは残っていなかった。

 事件当日、千代田区にカラスが異常集結していたことも、すぐに確かめられた。ジュースの缶を捨てた人間が、数人カラスに突かれて軽傷を負うという事故も起きている。

 二宮は確かに警視庁本庁ビルから飛び降りて死んでいた。
 警戒の厳しい本庁の中を、どうやって屋上まで上ったのだろうと大きな疑問が残った。

 「ネットの意識体」は本人である長野希が、植物状態から5年ぶりに意識を回復したことで、「奇跡譚」としてマスコミにも取り上げられた。
 意識を回復した時間が、希が消滅したと伊能たちが言っている、10月31日午前10時30分だったことも奇妙だった。警察は希のところにも行ったが、こん睡状態の頃の記憶は全く残っていなかった。

「異能力」に関しては、伊能たち全員から能力が消えてしまったため、実証のしようがなかった。

 12日間勾留されたのは、国家としてこの事件をどう扱えばいいのか苦慮したための時間だろう。

 最後の三日間は、容疑者というより賓客のように丁重に扱われ始めた。

 最初は留置場もバラバラにされた5人だったが、最後の三日間は一緒だった。

 釈放の日、年配の看守がきて牢屋のカギを開けた。
 そして、恭しく一礼して「本当に有難うございました」と言った。

 私物を返してもらう時も、やはり年配の係員で、伊能たちに深々とお辞儀をしたのが印象的だった。

「まだ時間がある。皆こっちにきて話そうや」
 伊能たちの取り調べの指揮を執っていた警察幹部が自室の応接間に招いた。

 全員が座ったところで、堂園と名乗るその男がつらそうな表情で
語り始めた。

 鼻も耳も潰れている、いかにも修羅場をかいくぐってきたタイプの刑事だ。
 喋り方も突き放すような感じがある。

「俺は、お前らの言うことを信じることにした。だけど、お化けは信じねえぞ。とにかくお前らの話は馬鹿げているし、滅茶苦茶だが、全て裏が取れる。だから、お前らは日本を救ったヒーローだ。こんなに凄いヒーローはテレビにもいないだろう」

 堂園はそこで言葉を切って、煙草に火を付けた。爪が脂でまっ黄色になっている。土岐といい勝負のヘビースモーカーらしい。

「1本もらえますか?」
 土岐が言うと箱ごと寄こした。

 煙を天井に向かって吹き出しながら話を続けた。
「だが結果として、今回の事件はすべて闇に葬ることになった。だってそうだろう。お前らの話を国家が認めたら、大変なことになる。だから事件の存在をすべての記録から抹殺する。須賀のところの若い衆もチャカを持っていた奴は、少し臭い飯を食ってもらうが、他の公防(公務執行妨害)でパクられた連中はすべてパイ(保釈)だ」

 伊能が口を開いた。
「俺たちは誰かに褒めてもらいたいとか、有名になりたいとか思ってやったわけじゃないですから、そうして戴いて結構です」

 警察官が部屋に入ってきて「車の用意ができました」と伝えにきた。
「じゃあ、そこまで送りましょう」

「いや、僕ら自分で帰れますよ」

「まあそう言わないで、これは本当にささやかな気持ちですから。あ、さっきあなた達を牢屋から出した看守がいたでしょ?」

「はい、年配の感じのいいお爺さんでしたね」

「あの方が警視総監です」

「ええ!」
 伊能たちは飛び上るほど驚いた。

「私物をお返ししたのが、警察庁長官です。公的に貴方達に何もしてやれないので、せめて……そんな気持ちを察してください」

 伊能たちは2台のパトカーに分乗して乗り込んだ。
「一か所寄り道しますけど、すぐ終わりますから」

 パトカーはサイレンを鳴らしてスムースに走った。
 そして警官が門を警備する大きな屋敷に入って行った。

「ちょっと車を降りましょう」

 降りた伊能たちに、屋敷の一角を指差した。
 大きな窓に白髪の老人が立ってこちらを食い入るように見つめていた。

「総理大臣!」
 伊能が気付いて思わず直立不動の姿勢になった。
 他の者も慌ててそれにならう。

 総理は伊能たちに向って、神仏を拝むように両手を合わせ、深々と礼をした。

 どぎまぎしながら伊能たちも頭を下げる。
 しばらくして頭を上げたら、まだ総理は頭を下げていたので、慌ててもう一度頭を下げる。

「さて行きましょうか。どこに行けばいいですか? お好きなところで降ろしますよ」

 伊能たちは暫く声もなかった。須賀などは感涙にむせている。
 それでも行き先を聞かれて、お互いの顔を見た。

 全員が同じところに行こうと思っていたのだ。
「帝都大学付属病院にお願いします」

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74 永遠の90秒

「駄目だ! あの高さじゃ、落ちた瞬間にGB缶が破裂する!」
 伊能も苦痛の表情で叫んだ。

 すでに肉体も精神も限界を超えていた。
 全身の神経や脳が白熱して、溶解していく感じがする。

 それでも伊能は必死で、落ちていく小さな缶を、上空500kmの距離から軍事衛星のカメラで捉え続けた。


 YUKIは歓喜の表情を浮かべて、狂ったように笑っていた。

 突然身体が、意志とは関係なく動き始めた。
 操り人形が踊っているような、ぎくしゃくとした動きだ。

 笑いやんだ。
 いや、顔の半分が笑うのを止めた。

 顔の右半分は、唇を吊り上げて笑うYUKIのままだ。
 しかし左半分は、哀しげだが決意を秘めた男の顔になっていた。
 二宮の顔だ。

 唇の左側だけが動いて、二宮の声で喋った。
「半分なら取り戻すのは簡単だ」

 静かな声だった。
「さあ、一緒に行くんだ」

 二宮の声に、右側のYUKIの顔が恐怖に歪んだ。


 伊能たちは全員が手を繋いだまま、呼吸することも忘れて、伊能が見せる映像を見ていた。

 銀色に輝く缶と重なるように、地上を歩く人々の姿が映り始めた。

 全員が、お互いの絶望を感じた。
 繋いだ手から、絶望までが増幅されて流れ込んでくる。

 落ちる!
 全員が身体を強張らせた瞬間、映像の中を黒い影がよぎった。

 1秒か2秒、映像が途切れた。
 伊能が再度目標を捕捉するまでの時間だ。

 GB缶は地上に触れることなく、空に向かって上昇していた。
 地上に落ちる寸前、カラスの王が舞い降りてきて、獲物を捕えるように缶を掴んだのだ。

 ――まるで鷲だとタケトは思った。カラスの王様じゃなくて、きっと鳥の王様だ。
 なぜか、涙が流れて止まらなかった。

 伊能が時計を見た。
「タケト! 王様に缶を離すように言ってくれ。万全、いやレッドはあの缶に全力を集中しろ!」

「どこに向かって動かすんですか?」
 そう聞きながら、万全の髪が早くも蠢きはじめている。

「上だ! とにかく上へ向って、有り得ないほどのスピードを出せ! イメージを強く持つんだ。あの糞ったれGB缶なんか、一瞬で宇宙までぶっ飛ばしてやるってな」

「で、でも……」

 不安そうな万全を伊能が怒鳴りつけた。
「俺たちの能力は、もともとが有り得ない力じゃねえか。ということは何でもあり得ると信じろ」

 最後は語りかけるような口調になっていた。
 万全を見る伊能の眼は優しい光を湛えていた。

「やります! やってみます、ブルー」

「土岐さんは、俺たちに時間をください。出来るだけ長く引き延ばして下さい」

「分かった。やってみる」

「希君、これが最後だ。君にこんなこと頼むのは辛いんだけど……」

「うん大丈夫。僕の全てで、皆の力になります」

「俺たちに残されたのは一分半、90秒だ!」

 レッド(万全)、ブルー(伊能)、ピンク(土岐)、ブラック(タケト)、ホワイト(須賀)のコスチュームを着た5人が、もう一度固く手を繋ぎなおした。


 イエローを着るはずだった男は、自分の中のYUKIを道連れに、警視庁の屋上から宙に身を躍らせた。

 最後の瞬間、二宮の心は正義のヒーローだった。
 YUKIなど、どこかに消し飛んでしまったのだ。


 フル装備の警官隊を相手に、素手で戦ってきたヤクザたちも残り僅かになった。

 伊能たちに殺到しようとする警官隊に向かって、ついにヤクザたちは拳銃を抜いた。
 威嚇するように構える。

 警官たちにどよめきが起こった。

 ヤクザの拳銃に驚いたのではない。
 ヤクザの背後に固まっている戦隊ヒーローたちに驚いたのだ。

 5人の中で赤いコスチュームの小さな男だけが、マスクをしていなかった。

 突然その大きく禿げた頭頂部から、強烈なピンク色の光線が空に向かって放射された。

 大空に吸い込まれていく光線を、警官たちもヤクザたちも呆気に取られた表情で見つめていた。


 いったいどれだけの時間が過ぎたのか?

 誰にも分らなかった。
 何時間なのか、何日なのか、それとも何十年も過ぎたのか?
 時間感覚の消失。

 分かっているのは、万全が何百回も丸禿になったことと、GB缶がロケットのように上昇を続けていることだけだ。

 万全の髪の毛が、見る間に抜けおちていく。
 ぼぼぼぼぼと抜けていく音が聞こえるほど凄まじい。
 あっという間にツルツル頭になる。
 すかさず禿げたところから、にょろにょろと毛が生えてくる。
 そしてまた抜け落ちていく。
 脱毛と発毛の無限のループだ。

 異能力を使うと毛が抜けるのか、毛が抜けると異能力が使えるのかは謎だ。
 どちらにしても抜ける毛が無くなったら、万全の異能力は使えないらしい。

 希は万全に入り込み、髪の新陳代謝を極限にまで高めた。

 万全だけではない。
 希は全員の中にいた。

 ヒーローに憧れ、純粋にセイギを信じるココロ。
 幼い頃、男の子が誰でも持っているココロ。
 全員がそれを感じていた。

 希は限りなく力を与え続けた。
 そして限りなく消耗していった。


 ふいに伊能が手を離して言った。
「終わった……やったぜ! もう宇宙のゴミくずだ……」
 そう呟いて崩れ落ちるように倒れた。

 大の字になって空を見上げる伊能の目から、涙が溢れていた。

 土岐も顔を両手で覆って泣きじゃくっている。

「ありがとうって言ってましたね」
 タケトがそう言って、膝を抱えて座り込んだ。
「完全に消えてしまうまで、ありがとう、さようならって言ってたよ……」 

 希は消滅した。
 その瞬間を全員はっきりと感じていた。
 土岐によってぎりぎりまで引き延ばされた90秒間の最後の1秒だった。


 我に帰った警官たちが猛烈な勢いで殺到してきた。

 抵抗しない伊能たち5人を、乱暴に地面に押さえつけ手錠をかける。
 ヤクザたちも拳銃を捨て、おとなしく逮捕された。

 いつの間にか野次馬が集まっていて、特撮ヒーローのコスプレをした男たちが連行されていくのを笑いながら見ていた。

――マスクをしていて良かった。
 万全以外の4人は同じことを思っていた。


「ご臨終です」
 医師がそう告げても、母親は少年との添い寝を止めなかった。
 医師の声など聞こえていないようだ。

 父親はがっくりと椅子に腰をおろした。
 医師はちらりと看護師に目配せして、形だけの礼をして病室を出て行った。

 それからどれだけ時間が過ぎたのか。
 母親は少年をきつく抱きしめたり、髪を撫でたりしながら何かを語り続けていた。

 他愛のないことばかり。

 あなたが生まれたとき、どんなに嬉しかったか。
 あなたはお魚とピーマンが嫌いで困ったこと。
 中耳炎になった時、あんまり痛そうに泣くので、私まで泣いたこと。
 あなたはとってもやんちゃだったけど、本当に優しい子だった。
 あなたは一番大事なママの宝物。
 あなたのママになれて良かった。

 悲し過ぎて、どうしようもなくなって、少年の冷たい頬に自分の頬を擦りつけた。

 堪らなくなってきて、力一杯ぎゅっと少年を抱きしめた。

 そのとき何かが聞こえた気がした。

 胸のあたりで何かが動き、何かを言ったような気がした。
 母親はおそるおそる掛け布団を持ち上げて、中を覗き込んだ。

「ママ? 苦しいよお」
 胸に押しつけた希が、希の目が開いてこちらを見ていた。

 5年以上開くことのなかった希の大きな瞳が、昔と変わらない悪戯っぽい光を湛えて母親を見ていた。

 母親は拳を口にあてた。
 そうしないと叫びだしてしまいそうだった。

「ああ神様、神様のおかげなの! こんなことって……ああ、希!希! 目を瞑っちゃダメよ。絶対目を閉じないで!」

 父親も何事かと来て、希を見た。

「あ、パパもいる」
 狼狽した父親はいきなり病室から駆け出し、臨終を告げた医師を呼びにいった。

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73 そして死が、宙に舞った

 YUKIはGB缶(生物兵器)を取り出した。
 スイッチを入れて足元に置く。

 散布が始まる直前に、思いきり蹴とばして下に落とすつもりだった。その方が広く散布できるだろう。

 YUKIは突然背後に強烈な視線を感じた。

 小型の拳銃を握り締めて、素早く振り向く。
 誰もいなかった。大きなカラスが1羽いただけだ。

 YUKIは苦笑しながら拳銃をしまった。

 感覚の鋭いYUKIには珍しいことだった。
 人間の視線とカラスの視線を間違えるとは……。

 YUKIが視線を外しても、カラスは黒ダイヤのような眼で、じっとYUKIを見ている。
 気のせいだろうが意志的なものを感じて、少し気味が悪かった。

 細身の煙草を1本口にくわえた。
 そしてさりげなく横目でカラスを観察した。
 相変わらずYUKIから目を離さない。

 ――それにしても大きなカラスね。こんな大きいカラスは初めて見たわ。目つきも獰猛だし、ちょっと怖いわね……。

 突然カラスが動き出した。
 飛び立つのではなく、のっしのっしという感じでYUKIの方へ歩いてくる。

「しっ! しっ!」
 手で威嚇するようにしたが、気にする気配もない。

 なぜかYUKIを睨みつけたまま、時折背中を膨らませながら、のっしのっしと歩いてくる。

 実はYUKIは鳥類が苦手だ。鳩でも嫌なのに、こんな化け物カラスには恐怖を感じてしまう。

 思わず一歩二歩と後ずさりしていた。
 内側にいた二宮はこの機会を逃さなかった。

 一気にYUKIと交代を図った。
 人格交代の瞬間、YUKIの顔が驚きに一瞬歪んだ。
「おのれ! 二宮かああ!」

 YUKIが言葉を発し終える前に、二宮が表に出ることに成功した。当然YUKIは二宮の意識の底に落ちていく。

 二宮は屋上の端に行った。
 周りの景色、今いるビルの入口を見て自分がどこにいるのか分かった。

 YUKIの携帯を取り出して伊能に電話した。
 伊能は二宮の声を聞いてひどく驚いているようだった。

 しかし、嫌悪している感じがなかったので、二宮は涙が出るほど嬉しかった。
 話したいことはいくらでもあるのだが、時間がなかった。

「伊能さん、二宮です。色々とごめんなさい」

「二宮、そのことは今度話そう。きっと医者がお前の力になってくれるはずだから。それより今は時間がない。今自分が何処にいるかわかるか?」

「はい、ここは霞が関の警視庁ビルの屋上みたいです」

「周りに小さな銀色の缶が見当たらないか?」

 二宮は屋上を見渡した。
 ぎょっとするほど大きなカラスが1羽いて、そのすぐそばに銀色の缶があった。

「ありました!」

「二宮よく聞いてくれ。そして急いで行動してくれ。時間はあと3分しかない。その缶の上に赤いスイッチがある。おそらく今は押し込まれている状態だ。それを指でつまんで引き出してくれ。それが終わったらそれを持って警視庁から出てきてくれ。こちらは入っていけないからな」

「分りました。いますぐやってみます。電話はこのままでいいですか?」

「ああ、分らないことがあったらすぐ聞いてくれ」

 伊能の後ろから懐かしい万全の声が聞こえてくる。
「二宮君なら僕も話したいなあ、タケトだって話したいよね」

 まるで親が子供を叱るような口調の土岐の声も聞こえて来た。
「いいかげんにしろ! 今は時間がない。話なんかあと、あと!」

 ほんの数日会っていないだけなのに、それらの声はひどく懐かしかった。ひどく温かかった。そして遠かった。

 伊能は電話からしばらく二宮の声が聞こえないのが気になった。
「どうだ? 二宮うまくいってるか?」

 聞こえてきたのは、ぞっとするような笑い声だった。
 その嘲るような笑い方に覚えがあった。

「YUKIか?」

「おひさしぶりねえ、伊能さん。二宮君はもう二度と現れないでしょう。私の隙をついたけど、あなた達のことを思い出して涙ぐんでいる間に、簡単に取り戻すことができたわ」

 伊能は話しながら、懸命に警視庁本庁舎ビルの屋上の映像を探していた。
 軍事衛星の精密映像にそれを見つけ、急いで拡大し焦点を合わせていく。やがて携帯電話で話しているYUKIの姿を見ることができた。

「そろそろ散布の時間ね。わくわくするわね」

 YUKIの足もとに銀色の缶があった。

 YUKIが足を大きく振りだすのを見て、伊能は大声で叫んだ。
「やめろ! それだけはやめろ!」

 YUKIに蹴られた缶は屋上のフェンスを高く越え、大勢の人間が出入りしている玄関前に向かって落下を始めた。

「あの高さじゃ、落ちたら缶が破裂するぞ!」
 土岐が珍しく顔を歪めて叫んだ。

 YUKIが狂ったように笑っていた。

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72 ラストワン

 AM10:17

 退避行動まであと3分。

 伊能たちを逮捕しにきた警官隊と、少しでも時間稼ぎをするために抵抗する、ヤクザたちとの争いはすでに乱闘状態になっていた。

 囲みを突破して何人かの警官が伊能たちの近くまで来た。
 しかし際どいところで、須賀の部下たちの捨身の抵抗に食い止められていた。

 ついに発見数が19個に達していた。
 あと1個である。ただし、その1個が数万人を殺す能力を秘めている。

 能力を限界以上に使っている伊能の顔は、僅かな時間で一気に年老いたように見える程やつれていた。

 その表情や口調に、焦りの色がはっきりしてきた。
「土岐さん、あと3分で退避時間です。皆を連れて急いで避難してください」

 土岐はポーカーフェイスを意地でも崩さない。
 しかし、咥えたタバコは逆で、唇から力無くぶら下っている。

 土岐は疑わしげな眼で伊能を見た。
「お前も一緒だろ?」

「いや、俺はもうちょっとだけ探します。皆は危険ですから地下に避難してください」

「悪いが、俺も同じことを考えていたんだ。ここまできて後に引いたら、一生ギャンブルで目が出ない気がする」

 須賀が伊納と土岐の方へ急ぎ足でやってきた。
 目の輝きが違う。おそらく希君のほうだと、伊能は思った。

 早口で、ちょっと舌足らずな話し方はやはり希だった。
「最後の1個ですが、もしかすると、YUKIが持っているんじゃないかな? YUKIなら誰にも見られずに設置できるし」

 伊能はしまったという顔になった。
「そうか! YUKIは二宮の能力も使えるのか!」

 土岐が腕組みして、溜息混じりに言った。
「YUKIと二宮は同一人物なんだろ? しかし、俺には二宮が悪人だとはどうしても思えない。というより匂わないんだ……」

「希君、二宮の人格に呼びかけることはできないかな。俺たちに呼びかけるように……おそらく今はYUKIだろうが、心の奥では二宮が眠っているはずだ」

「できるかどうか……でも試してみます」


 その頃YUKIは警察機構の中心部にいた。

 通称桜田門と呼ばれる、霞が関2丁目にある警視庁本庁舎ビルだ。
 二宮の「見られない」能力を最大限に生かし、誰にもとがめだてされずに屋上まで登ることができた。

 YUKIは三上の家から、生物兵器用の防護服を一着持ち出していた。散布が始まったら着込むつもりだ。

 少なくとも、今日一日は警視庁の屋上という最高のロケーションで、この空前のテロがもたらす死や破壊を見物しながら、パニックに陥った人間たちの惨めなショーを楽しむつもりなのだ。

 ドラッグでもこれほどハイな気分になったことはない。
 YUKIは上機嫌で、これから死の街に変わるはずの眼下の風景を楽しんでいた。

 YUKIは気付かなかったが、YUKIが意識の底に閉じ込めて、もう二度と目を覚まさないはずの二宮が、このときにふと眼を覚ました。

 どこからか聞こえてきた、二宮を呼ぶ幼い子供の声に起こされたのだ。

「希君?」
 希のメッセージを受け取った二宮は、ひどく恥ずかしかった。
「僕は何をやってるんだろう? 皆が必死で戦っているのに、僕だけが逃げていた……」

 二宮は意識の外に出ようとしたが、表に出ているYUKIには隙がなくて難しかった。

 二宮がもう決して表には出ないと決め、YUKIに全てを譲ったのは、須賀や伊能たち、サラマンダーの仲間を自分が裏切ってしまったことをYUKIから知らされたからだ。
 さらにYUKIは殺人まで犯しているという。

 いくら知らなかったとはいえ、自分が殺人者で、さらに仲間を裏切っていたとは……。

 二宮にとって、伊能たちは初めての仲間と呼べる相手だった。
 その伊能たちが、自分の助けを必要としている。いまどこにいるのかを教えるだけでいいのだ。

 なんとかしたかった。時間もないらしい。

 暗く冷たいYUKIの意識の奥で、二宮は祈るような気持ちでチャンスを窺った。

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71 異能戦隊サラマンダー

 AM10:00

 日比谷公園の7か所の入り口から警官隊が突入した。

 通報によると須賀たちは大噴水あたりにいるらしい。
 日比谷公会堂、大音楽堂、テニスコート、花壇や池の方向から、須賀一味を押し包むように突入した。

 しかし、昼前の日比谷公園は閑散としていて、やけにカラスばかりが目に付いた。
 須賀たちはどこにもいない。

 肝心の大噴水では、特撮ヒーローショーが行われていた。
 平日の昼間だというのに、オタク連中が集まっている。

「いい年して、こいつら働いてないのか?」
 フル装備で汗だくになって走ってきた警官たちは、いまいましげに眺めていた。

 ヒーローショーはオタクたちの人垣でほとんど見えない。時折、赤やピンクの衣装が見えるくらいだ。

「どうもガセ情報らしいな……畜生め! 人騒がせな野郎がいたもんだ」

 ヘルメットを脱ぎながら、口惜しそうに吐き捨てた警官が、ショーの方を見て訝しげな顔になった。

「おい、このショーは何かおかしいぞ! どこにも看板がない。ポスターやチラシもない。大体ショーだというのに、音楽もないし司会者もいない。マイクすら無いじゃないか!」

 その警官は緊張した表情になって、ショーの人だかりに向かって歩いて行った。

 人垣の一番外側にいるオタクに声をかける。
 やけにでかいオタクだった。
 まるで格闘家のように獰猛な体つきに見えた。

 しかし、服装が珍妙だった。
 ど派手な緑色に光る、電飾付きのカエルの帽子を目深にかぶっている。
――よくこんな帽子をかぶれるもんだ。
 内心呆れながらも、顔の汗をタオルで拭いながら、気安い調子で声をかけた。

「これは何のショーなんですか?」

 カエル帽子の男は、こちらを振り返りもせずにぼそっと答えた。
「えーっと、確か落武者戦隊ハゲテンジャーかな」

 そのドスのきいた声、喋り方をきいて警官は、改めて周りを見回した。

 そこにいる全員が背を向けている。
 しかし、全神経をこちらに対して研ぎ澄ましているのが分かった。

 良く見ると、ジーンズに蛇皮の雪駄履きの男とか、首にも腕にもやたらに太いゴールドの鎖を巻いている男とか、なんかチグハグだった。

 警官はさりげなく立ち去り、途方に暮れている上司に報告した。
「噴水のところにいるオタク連中は怪しいです。ひょっとすると、あれは全員がヤクザ者かもしれません。連中が輪になって取り囲んでいる中に須賀たちがいるんじゃないでしょうか」


 AM10:00

 法務省や検察庁、裁判所などが集中する霞が関1丁目。

 街角に置かれた自販機の前で、二人の男が缶コーヒーを飲んでいた。ごく普通の勤め人に見えた。

 10時になると男たちは時計を見ながら、ビジネスの約束でもあるかのようにそそくさと立ち去った。

 空き缶を捨てる際、ゴミ箱の裏側に銀色の缶を隠すように置いた。

 誰にも不審を抱かれることのない、自然な動作だった。

 しかしカラスたちの眼は見ていた

 ビルの上から、街路樹の枝から、カラスたちの数十個の眼が、男たちの行動を見逃さなかった。

 置き去られた銀色の缶の周りに、カラスたちが数羽舞い降りてきて「ギョエーギョエー」と喧しく鳴き喚いた。

 どこからか、別の二人の男が現れた。
 銀色の缶を大きな魔法瓶のようなものに入れた。

 一人の男がカラスたちに手をあげた。
「サンキュー、カア公」


 伊能たちは極度に集中していた。
 警官隊のことは完全に意識にない。

 10時を過ぎてから矢継ぎ早に、回収成功の報告が入り始めた。

 約10分の間に、15個が回収された。

 カラスたちの活躍は思った以上だった。
 半分以上がカラスのおかげだった。


AM10:10

「あと5個だ! どこだ? 土岐さん、何か見つからないか?」

「今、もう少し範囲を広げられないかやっているところだ。ところで伊能、屋内ってことはないのか? ビルの中で空調とか狙われたら、カラスたちにも見つけられないぜ」

 須賀の部下が二人同時に叫んだ。
「回収!」

「これで17個。あと3個だ!」
 伊能がそう言いながら時計を睨んだ。

 伊能たちを守るように取り囲んでいるヤクザ達の方で、激しい怒号が聞こえてきた。

 やはり警察には見破られたと伊能は苦笑した。
 しかし怯む気持ちは全く無かった。
 逆に覚悟が決まって、すっきりした気分だった。

――とにかく今は集中しなければ。皆、あと15分持ちこたえてくれ。これが終わったら、刑務所に送られても、死刑になっても構わない。我ながら身勝手に生きてきた俺が、知らない誰かの為に命さえ懸けようとしている。馬鹿臭いと思うけど、俺は俺の人生の中で、初めて正しい事をしている自信がある。意味もなく殺されようとしている人がいたら、精一杯助けようとする。誰が何と言っても、それが正しいことだ。
できれば今の俺を真澄に見てもらいたい……。

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70 出撃

 AM7:00

「出撃じゃ!」
 須賀の声に全員が一斉に立ち上がった。

 須賀の部下が伊能を呼び止めて、紙袋を差し出し中身を見せた。
「昨日、秋葉原で買い集めた衣服の中に混じっていたんですが……必要ないですか?」

 伊能は少しの間黙り込んだ。
 やがて何かを思いついて顔をあげた。
「使えるかもしれない。一応持ってきてください」


 千代田区は、昼間人口と夜間人口の差がもっとも激しい区だ。
 夜間人口(居住者)は4万4000人と23区で最も少ない。
 ところが昼間人口は約19倍の85万人に膨れ上がる。
 その差は約80万人。

 その人数の大部分が、朝の通勤ラッシュに揉まれながら出勤してくる人間だ。

 この朝、その約80万人の中に、千人足らずの偽オタクたちが紛れ込んだ。

 付け焼刃的な扮装なので、相当おかしなものも多い。
 オタクというより、ただの変質者に見えるものもいる。
 それでもヤクザには見えなかったので、全チームが無事に配置についた。


 AM8:30

 霞が関に出勤してきたOLたちが不安そうに空を見上げた。
 無数のカラスが、空を縦横に飛んでいた。
 注意して見ると、信号の上、道路標識の上、自販機の上、ビルの看板など到る所で羽を休めている。

「ねえ、こんなにカラスって多かったかしら ?なんか変じゃない?」

「ホラー映画みたい……気味が悪い」

「まさか地震とか起きないよね?」
 そんな会話を同僚と交わしながら官庁ビルに入って行った。

 他にも不安げに空を見上げる者は多かった。
 しかし、これだけのカラスがいながら、ほとんど鳴き声をあげていないことに気が付いた者は僅かだった。

 伊能たちは日比谷公園にいた。
 大噴水の淵に5人並んで腰かけた。
 さりげなく手を繋いでいる。

「じゃ土岐さんフルパワーで始めましょう!」

 伊能と土岐はそれぞれの異能力を発動させた。
 土岐は嗅覚で、伊能は監視カメラ等の映像から、テロリストのサーチ(探索)を始める。

 希の力が流れ込んでくる。
 伊能も土岐も極限まで能力が高まるのを感じていた。


 帝都大学病院の一室では、困惑する医師を無視して、少年に繋がる全てのチューブを取り外していく母親がいた。

 外し終ると、母親はそっと少年の傍に横たわり、きつく抱きしめた。どんどん冷たくなっていく体を抱きしめ続けた。

 AM9:00

 警視庁に1本の電話が入った。

「サラマンダーの事件で手配されている男が日比谷公園にいる。変な髪形の危ない奴だ。一緒に手配されているヤクザの組長らしき男も一緒にいる」という情報に警察は色めき立った。

「須賀が一緒だとすると抵抗する恐れがある。組員たちが一緒かもしれない。拳銃の携帯、防弾チョッキ、盾の装備など態勢を整えて逮捕に向かえ!」
 即座にフル装備の警官約100名が準備された。

 AM9:20

「伊能! 国会議事堂周辺に、カメラを集中させてくれ!」

 土岐の叫びに伊能は国会周辺のすべてのカメラ映像を映し出した。

「あれだ。中国人風の二人。手にガイドブックらしきものを持っている! 観光客を装っている。一人は長身、小太り、ベージュのジャンパー、紺のズボン。一人は長髪、小柄、赤いセーター、白いズボン!」

 須賀の部下が携帯電話でその方面に連絡する。

「霞が関A―4出口! 日本人2人組。茶髪、中肉中背、黒っぽいスーツ、大きな黒いボストンバッグ、もう一人は灰色の作業服、サングラス、短髪、小柄!」

「東京地検前! 外国人風、イラン人かな。短髪、黒髪、長身、白長袖トレーナー、ジーンズ。もう一人も外国人。同じくイラン人かもしれん。野球帽、紺のジャンパー、紺のズボン、小柄だがデブだ!」

 伊能の見せる映像から、異臭を嗅げるまでに土岐の能力は高まっていた。
 要チェック人物を土岐が次々に特定していく。
 連絡を受けた偽オタクたちは、該当者を発見して尾行を始める。
 伊能の能力と土岐の能力は完全に連動し始めていた。

 AM9:40

「現在までに11組発見です!」
 須賀の部下が叫ぶ。

 何か言いかけて、かかってきた電話に出た。
 電話を終えると蒼白な顔になって叫んだ。

「警視庁近辺に配置したチームから連絡! 警官隊が緊急出動しました! 100人近くの大部隊です。目的地は日比谷公園方面。サイレンを鳴らさずに向かっているとのことです!」

 伊能はちっと舌打ちをした。
「見つかったか! やっぱり警察は敵だな。別動隊を急いで集めて俺たちの周りをガードしてくれ。2、30分食い止めてくれればいい。俺たちは急いでこれに着替えるぞ!」

 伊能は先ほど須賀の部下に見せられた紙袋を指差した。

 中を覗き込んだ万全が歓声をあげた。
「わーい! 戦隊物のコスチュームだ!」

 渋い顔の伊能や土岐と対照的に、万全とタケトは嬉しそうだ。
「これから、異能戦隊サラマンダーのコスプレショーだ! 顔も隠れるしな。別動隊はファンのふりをして俺たちをしっかりと取り囲んでくれ!」

「俺って何色だっけ?」
 土岐に万全が答えた。
「ピンクです!」

「ええええ! 別の色じゃダメか?」
「駄目ですよぉ。決まりですもん」
 苦い顔でピンクのコスチュームを土岐は着始めた。

「うぐぐぐぐぐぐ」
 万全が苦しそうな声を上げた。

 頭を覆うマスク部分に頭がどうしても入らない。
 ボディはぶかぶかなのに。

 伊能が呆れた声を出した。
「なんで、そんなに頭がでかいんだ?」

「あ、頭がでかいのは万全家の唯一の誇りです!」

 10時が迫ってきた。
 そのとき、日比谷公園に警官隊が突入を開始した。

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69 兆し

 その日の朝、YUKIは空を見上げ、やけに多くのカラスを目にして思わず微笑んだ。

 手配は完璧に終えている。
 今日、未曽有のテロが行われ、この国は混沌に陥るだろう。

――カラスは死者の出るところに集まってくる。素晴らしい兆しだわ。

 AM5:00

「最後の確認です」
 伊能が須賀の4人の部下を含めた全員の前で話し始めた。

「須賀さんの部下、待機組を除いた880名。これを2名ずつ440組のチームに分けました。このうち400組は先ほど説明した通りの場所に待機してもらいます。現場到着は8時30分」

 伊能が指したホワイトボードには、永田町20組、霞が関20組、丸の内20組など地域別の動員数。国会議事堂、首相官邸、検察庁、法務省など建物別の動員数など細かく記してあった。

「武器の携帯については最後まで悩みましたが、敵2名に対してこちらも2名で当たることを考えれば、やむをえないという結論に達しました。ただし目的はテロリストを捕えることではありません。所詮彼らはこのテロだけに雇われた者にすぎません。目的はGBという生物兵器の回収です。回収方法については――」
 伊能は再びホワイトボードを指した。

「缶の上部にある赤いスイッチ。これが押し込まれている状態がONの状態です。これをつまんで引上げる。それでOFFになります。目覚まし時計と同じ、単純な構造です。ただし念のため各チームで用意した大型の密閉型ポットに必ずしまってください」
 伊能は言葉を切って、皆の顔を見渡した。

 どの顔も決意に満ちていた。
 万全ですら凛々しく思えたほどだ。

「行動時間は10時20分まで。10時20分になったら速やかに退避行動を取ってください。基本的には地下鉄で、地上は危険が大きくなります。俺と伊能さんは別々に行動したほうがいいと最初は思いましたが、俺たちが繋がることでの能力の増幅を考えて、一緒にいることにしました。俺たちがいる、いわば作戦本部は日比谷公園に置きます。残る40組80人の方には、別動隊としてそれぞれオートバイで各所に待機してもらいます」

 ふと窓から外に目をやって伊能は「あっ」と声を上げた。
 皆が一斉にその方を見た。

「凄い……」
 全員が一斉に同じ呟きをもらした。

 タケトは窓際に駆け寄って声もなく見つめている。

 外は明るみ始めていた。
 遠く千代田区のある方向の空に、無数の黒い点が固まって、そこだけ真黒な雲がかかっているように見えた。

 伊能は力強く言葉を続けた。
「特にカラスに注意するように! カラスが騒いでいたら、すぐにその場所へ行ってください。最後に隊長から一言お願いします」

 須賀が少し照れくさそうに立ち上がった。
「えー、おほん」と咳ばらいをしたとたん止まらなくなった。

「えーほ! えほげほげほほほへええへへへ!」
 ひとしきり咳きこんでから、急に真顔になって言った。

「本来は希君から何か言ってもらうべきなんじゃが、その時に備えて希君には力を溜めてもらっておる。わしからは一言だけ!」

 須賀は80歳を超えた老人とは思えない気迫を籠めて全員を見回した。
「正義の力じゃ!」

 須賀はひとり感極まった顔になった。

「討ちてしやまん! 鬼畜米英じゃ! 断じて事を行えば、鬼神もこれを避けるじゃ! 欲しがりません、勝つまでは! 一人一殺! 毒を食らわば皿までも!」

 伊能が慌てて須賀を止めた。
「とにかく……まあそんなことだ! 皆、いっちょう、やったろうじゃないか!」

 おお!というウォークライが響き渡った。
 時刻は6時に近付いていた。

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68 前夜

 伊能たちが部屋に戻ると、須賀の4人の部下たちがひっきりなしにかかってくる電話と格闘していた。
 オタクに変装せよとの指示にとまどった、ヤクザ達からの電話だ。

 たちまち伊能たちも巻き込まれた。

 一人が叫ぶ。
「伊能さん! つるつるに頭を剃っていて、でかい蜘蛛の刺青を入れてる奴がいるんですが、どうしましょう?」

「帽子、野球帽をかぶってください!」

 別の男が叫ぶ。
「鰐皮のスニーカーはダメですか?」

 万全が答える。
「だめです! 普通のにしてください!」

「右手の指が1本、左手の指が2本足らないんですが?」

 土岐が苦笑いしながら答えた。
「手袋してください。アニメキャラ付きの!」

「顔に大きな切り傷が……ちょっと待ってください……おう、何? バッテン? ああ、そりゃひでえな。すみません顔にバッテンの大きな切り傷があるんですが?」

 伊能たちは顔を見合わせた。
「待機!」

 男は肯いて電話に向かった。
「お前は待機だ! 外には出るな!」

「女装はダメですか? 本人の趣味らしいんですが?」

 伊能がため息をついた。
「その人の体格は?」

「はい、いま聞いてみます。お前、ガタイは? なにい! 195センチ、120キロ?」
 伊能が呆れて手を振った。
「だめだめ! 待機!」

 須賀が叫んだ。
「破門じゃ! なんじゃ女装趣味とは! うつけ者め!」

 伊能が土岐に向って言った。
「土岐さん、ちょっとここ任せていいですか? 俺は明日の配置を考えますんで」

「ああ、まかせろ」

「タケトと万全も頼むな」
「はい!」
 タケトが元気良く返事した。
 万全は何か不満そうだ。

 伊能は言い直した。
「頼むぞ、レッド!」
「はい!」
 万全が誇らしげな表情で返事をした。

 帝都大学病院の一室では、目覚めぬ少年の手をさすり続ける母の姿があった。

「危篤状態と考えてください」
 医師がためらいがちに言った言葉は、まるで聞こえていないようだった。

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